テキスト:「美術を学ぶ人へ」(佐藤忠良)への解釈(異論)
美術を学ぶ人へ (美術の教科書) 佐藤忠良
美術を学ぶ前に、私が日ごろ思っていることを、みなさんにお話します。 というのは、みなさんは、 自分のすることの意味------なぜ美術を学ぶのかという意味を、 きっと知りたがっているだろうと思うからです。 私が考えてほしいというのは、科学と芸術のちがいと、その関係についてです。 みなさんは、すでにいろいろなことを知っているでしょうし、 またこれからも学ぶでしょう。 それらの知識は、おおむね科学と呼ばれるものです。 科学というのは、だれもがそうだと認められるものです。 科学は、理科や数学のように自然科学と呼ばれるものだけではありません。 歴史や地理のように社会科学と呼ばれるものもあります。 これらの科学をもとに発達した科学技術が、 私たちの日常生活の環境を変えていきます。 ただ、私たちの生活は、事実を知るだけでは成り立ちません。 好きだとかきらいだとか、美しいとかみにくいとか、 ものに対して感ずる心があります。 これは、だれもが同じに感ずるものではありません。 しかし、こういった感ずる心は、人間が生きていくのにとても大切なものです。 だれもが認める知識と同じに、どうしても必要なものです。 詩や音楽や美術や演劇------芸術は、 こうした心が生みだしたものだと言えましょう。 この芸術というものは、科学技術とちがって、 環境を変えることはできないものです。 しかし、その環境に対する心を変えることはできるのです。 詩や絵に感動した心は、環境にふりまわされるのではなく、 自主的に環境に対面できるようになるのです。 ものを変えることのできないものなど、 役に立たないむだなものだと思っている人もいるでしょう。 ところが、この直接役に立たないものが、心のビタミンのようなもので、 しらずしらずのうちに、私たちの心のなかで蓄積されて、 感ずる心を育てるのです。 人間が生きるためには、知ることが大切です。 同じように、感ずることが大事です。 私は、みなさんの一人一人に、ほんとうの喜び、悲しみ、怒りが どんなものかがわかる人間になってもらいたいのです。 美術をしんけんに学んでください。 しんけんに学ばないと、感ずる心は育たないのです。
(註)浅野千秋の美術教育の解釈「美術を学ぶ人へ (美術の教科書) 」について、反面、異論の多いのも確かだろう、それは、表象には、解答がないのだから、、それでも、小中学の美術には、成績がある、人(教師)がランクを付ける訳だ、そして、この書籍は、その教育の中で使われた。>>科学と芸術の違い: はない。そして、学際という言葉も存在する。>>科学技術: 技術と芸術は同じものである。また、科学によって、その時代の解き明かされたパラダイムが、技術と芸術で展開されて行く。すべてのサイクルは、複合的な同時性の中で進行している。いつの時代もそうであろう。それは、「形見とて 何かのこさむ 春は花 山ほととぎす 秋はもみぢ葉」良寛辞世の句解釈:残そうとしても何かが残るという世界の仕組みではないし、残るべきものとしてあるものは、人の手を離れてすでに残ってある。
>>しんけんに学ばないと、感ずる心は育たないのです。それは、まったく、ないだろう。
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