2014年9月9日火曜日

-ルイス・ブニュエル監督の銀河-遍在する神//LA Milky Way - Luis Buñuel : アサノチアキ Asano Chiaki

遍在する神//LA Milky Way - Luis Buñuel : 浅野千秋 - Asano Chiaki
クラウド時代のアート手法また、映像手法への一考
-ルイス・ブニュエル監督の銀河-

この作品解釈は、多々あるだろう。印象に残るシーンは、
1)中世と現代の交錯
2)主キリストの実像感
3)巡礼という手段
4)交錯するマリアと娼婦の同一性と変化
5)盲目から、主キリストに与えられた実像の本来性(人の受容器官の視覚)
6)そして、見えているはずが、ラストシーンで溝を杖で探り渡る。(目で見ていることが現実ではないのか)
これらは、映像の中で、何が起きようと、如何に解釈しようとも、ランダムな現実に近い仕様だ。
(註1)1969年、上映後、当初、キリスト教側からの抗議があったといわれるが、すべてキリスト教系のテキストから、ブニュエルの引用によって成り立っているため、むしろ、この映像はキリスト教にとってむしろ護教的スタンスとわれる。
(註2)クラウド時代のアート手法また、映像手法に、視点に着目されたい。

銀河あらすじ
パリのハイウェイを2人のヒッチハイカーで車を止めようとしている。
しばらく歩いていると、突如黒マントの男が、現われ、続いてキリストの聖痕を持つの少年が現われ、少年が手を上げ車を止めた。
車内で、何げなく神を恨む言葉を呟いたとたん、2人は追い出されてしまう。
そして、村の司祭たちと聖体論争。
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立寄った女学院の学芸会の校庭では、マリア像の前で、敬虔な信者の様相で食事にありつく。
イエズス会の神父とヤンセン派の伯爵の決闘。
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フランスから、国境を越えてスペインに入った2人は、16世紀サラマンカ大学の学生2人に出会う。
金貨を報酬にロバを預かる。村の教会前の広場で進行中の元司教の位階剥奪の儀式。
そして、
聖母信仰のロザリオをふざけて撃砕いたその日の夜、青色の衣をまとったマリアが現われ砕かれたはずのロザリオをロドルフに渡した。
聖地サンチャゴ付近の銀河街道で、車で通りかかった娼婦マリアと3人が消えていった森の中をパンニングすると、
盲の放浪者が2人現われる。そこへ使徒をひきつれたイエスが通りかかり盲人の目をいやす。弟子たちを集めて、イエスは次のように宣言する。
「私が来たのは地に平和をもたらすためだと思うな。私がもたらすのは平和ではない、剣だ」
(マタイ伝10)

この文章は、神に対するものではなく、今後の映像論についての1つの思考であることを、ご了承下さい。

見えない象徴して、例として、銀河とブニュエルのその手法。

Education - 本来の教育のあり方

Education
In Japan, the problem of elementary school, junior high and senior high school education, there is always the answer.
However, the problem of society, there is not answer.


本来の教育のあり方
日本に於ける、小学校・中学校・高等学校教育の問題には、必ず解答はある。
しかし、社会の問題には、解答のある問題はない。
壮絶な勢いでのパラダイムシフトする、21st型スキルに於いて、
自分で考え・まとめる能力は必須である。

子供の頃に学ぶ、本来あるべき教育は、高度な物は、ほぼ必要はなく、大切なことは、自らの言葉だろう。

2014年8月13日水曜日

To make the person, the thought of that person, hardship will come.



その人のその人なりを形成するために、次ぎから次に苦難が到来する・・・・
To make the person, the thought of that person, hardship will come.
(C)Cindy Sherman

2014年6月14日土曜日

.....a life is a school its teacher is a time and its lessons are experiments.....

...............a life is a school its teacher is a time and its lessons are experiments...........we can't predict the future because . the people change....feelings change..things change. but we can prepare for it ...........that's life .........just don't be sad and smile to life.................keep going


...............人生は、我々は未来を予測することはできません..........その教師は時間であり、その教訓が実験である学校です。人々が変遷し....気持ち..物事も変遷する。しかし、我々はそれのために準備することができます...........それはただ悲しいことははありません、生活に笑顔.........人生は.............続けるだけです.......
(註)引用:Mohamed Boouy

2014年3月13日木曜日

クラウド時代に映像に約束事はない。In the cloud, there is no theoretical conventions in the video.

クラウド時代に映像に約束事はない。In the cloud, there is no theoretical conventions in the video.

In the cloud, there is no theoretical conventions in the video.
Now to the diversification of the video,
the interpretation of the video in the theory is difficult.
Rather, the video, there is no theoretical conventions.
Now, image theory, became a thing of the past.

クラウド時代に入って、映像に約束事はない。
映像の氾濫する現在、理論での解釈は難しい。
むしろ、映像に約束事はない、
映像理論は、過去のものとなった。

2014年2月27日木曜日

人に与えられた時間 - People's time


人に与えられた時間 - People's time

People's time 
Now, there are many things to do immediately. 
To it, time is insufficient very much. 
It is people's survival time. 

人に与えられた時間

さて、直ちにする多くのことがあります。
それに、時間は非常に不十分です。
それが人々の生存時間と、いう気がする。

2014年2月21日金曜日

映像という視覚芸術において/Visual arts of an image


Visual arts of an image  :
image to let eyes pass in the visual arts of an image, and to tell the person's heart. 
People's mind is the identity of sensitivity and becomes a support of the big heart across a domain called the border and time. 
The small phenomenon forgotten away is also very precious depending on how to receive people. 
However, such a thing is not considered at the time of photography. 
It is hard-pressed.
映像という視覚芸術において:
映像を制作する事は、視覚を通過して、その人の心に問いかけることが一番のポイントだrろう。
人の心に問いかける事は、感性の同一性を得るということで、国境、時間という領域を超えて、大きな心の支えになると考えられる。
忘れ去られて、しまいそうな小さな事象も、人の受け取り方によっては、計り知れない程、貴重な物だ。
ただ、撮録の時点では、まったく、そんなことを考えた事も無い。そんな余裕もないからだろう。