2015年1月15日木曜日

Bruno Schulz. Glimpse ......*ブルーノ・シュルツの世界感(複製技術に於ける一考)

Bruno Schulz. Glimpse .........
Cinnamon color of the town.

*ブルーノ・シュルツの世界感(複製技術に於ける一考)
従来、写真(プリント)や印刷技術は、何もない紙の上に、
あたかも、真実(写真)が、あるかのように、現実の一部分を切り取って、複製する技術の結晶であろう。

この事は、映画・映像にもあてはまる。
何もない光の束に垣間みる小宇宙を、頭脳で想像し、かつ、再形状化して認識する。
それらは、私にとって、まるで、「ブルーノ・シュルツの世界感」のようだ。
そして、それは、繰り返し、繰り返し、この後も、つづくのだろう。

Bruno Schulz. Glimpse ... Cinnamon color of the town.- Asano Chiaki

2014年12月29日月曜日

上善如水 - 老子

上善は水の如し。水は善く万物を利して争わず、衆人の悪む(にくむ)所に居る  老子



「上善」とは、最も理想的な生き方。最も理想的な生き方は、水のあり方のような生き方である。
第1は、水は入れる器に従って、実に柔軟にその姿を丸くなり、四角くなりして、それにあわせる。
第2は、水は人が好まない低い位置へ低い位置へと、流れていく。
第3は、水は、大きなエネルギーを秘めているということである。洪水ともなれば、木や家も流してしまう。(それも自然である=シャボン玉のような抵抗値の少ない状態に、、、地球は丸くなる。)

・水は、柔軟、控え目、パワーの3つの要素を備えている。
少しでも、水のような生き方が出来れば、理想に近い生き方が出来るのであろう。
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解り易くは:
住む所には、今の所が一番。
心は深い淵のように静かがよい。ゆっくり、様々な出来事を楽しんで見たらよい。
友達は思いやり深く付き合うのがよい。周囲の人々も、様々機会を与えてくれる。
言葉は誠実に使うのがよい。嘘の言葉でもその奥には本質が見える。
政治は平和がよい。争っては何もかも見失う。
仕事は自分の能力が、じゅうぶん発揮できる仕事がよい。自分の能力を活かして生きる事。
動くのはタイミングを見計らって全力で。自分を活かすのも、その瞬時のタイミング次第。

2014年12月9日火曜日

If winter comes, can spring be far behind?


If winter comes, can spring be far behind?
*冬来たりなば春遠からじ
北風に 皇帝ダリア 青の空

2014年12月8日月曜日

2014年11月15日土曜日

大鰐通り #2 /Bruno Schulz. Glimpse ... in Asian road - Street of Crocodiles

-大鰐通り-
*Bruno Schulz. 
Glimpse ... 
in Asian road - Street of Crocodiles


*鳄鱼街解説
「絵を描く」ことの意味を考えると、、
「絵を描く」ことはなく、「絵に描く」「絵にする」、ことはあるだろう、それは、現実の世界での、意味ある部分の模写か、また、自身のコンセプトを表現する手段であろう。
すでにある絵画(表象)を、模写して、自身のデータベースとして、記憶におさめる、これもあるだろう。


同様な事は映像にも当てはまる。ブルーノ・シュルツのそれや、クレイ兄弟のそれや・・・
大鰐通り(鳄鱼街)、は、そのような映像なのかも知れないし、アジアの街の同じ立ち位置にいるつもりでも、実は、単なるノイズでしかない、のかもわからない。




2014年9月9日火曜日

-ルイス・ブニュエル監督の銀河-遍在する神//LA Milky Way - Luis Buñuel : アサノチアキ Asano Chiaki

遍在する神//LA Milky Way - Luis Buñuel : 浅野千秋 - Asano Chiaki
クラウド時代のアート手法また、映像手法への一考
-ルイス・ブニュエル監督の銀河-

この作品解釈は、多々あるだろう。印象に残るシーンは、
1)中世と現代の交錯
2)主キリストの実像感
3)巡礼という手段
4)交錯するマリアと娼婦の同一性と変化
5)盲目から、主キリストに与えられた実像の本来性(人の受容器官の視覚)
6)そして、見えているはずが、ラストシーンで溝を杖で探り渡る。(目で見ていることが現実ではないのか)
これらは、映像の中で、何が起きようと、如何に解釈しようとも、ランダムな現実に近い仕様だ。
(註1)1969年、上映後、当初、キリスト教側からの抗議があったといわれるが、すべてキリスト教系のテキストから、ブニュエルの引用によって成り立っているため、むしろ、この映像はキリスト教にとってむしろ護教的スタンスとわれる。
(註2)クラウド時代のアート手法また、映像手法に、視点に着目されたい。

銀河あらすじ
パリのハイウェイを2人のヒッチハイカーで車を止めようとしている。
しばらく歩いていると、突如黒マントの男が、現われ、続いてキリストの聖痕を持つの少年が現われ、少年が手を上げ車を止めた。
車内で、何げなく神を恨む言葉を呟いたとたん、2人は追い出されてしまう。
そして、村の司祭たちと聖体論争。
・・・・・・・・・・・・・・・・
立寄った女学院の学芸会の校庭では、マリア像の前で、敬虔な信者の様相で食事にありつく。
イエズス会の神父とヤンセン派の伯爵の決闘。
・・・・・・・・・・・・・・・・
フランスから、国境を越えてスペインに入った2人は、16世紀サラマンカ大学の学生2人に出会う。
金貨を報酬にロバを預かる。村の教会前の広場で進行中の元司教の位階剥奪の儀式。
そして、
聖母信仰のロザリオをふざけて撃砕いたその日の夜、青色の衣をまとったマリアが現われ砕かれたはずのロザリオをロドルフに渡した。
聖地サンチャゴ付近の銀河街道で、車で通りかかった娼婦マリアと3人が消えていった森の中をパンニングすると、
盲の放浪者が2人現われる。そこへ使徒をひきつれたイエスが通りかかり盲人の目をいやす。弟子たちを集めて、イエスは次のように宣言する。
「私が来たのは地に平和をもたらすためだと思うな。私がもたらすのは平和ではない、剣だ」
(マタイ伝10)

この文章は、神に対するものではなく、今後の映像論についての1つの思考であることを、ご了承下さい。

見えない象徴して、例として、銀河とブニュエルのその手法。

Education - 本来の教育のあり方

Education
In Japan, the problem of elementary school, junior high and senior high school education, there is always the answer.
However, the problem of society, there is not answer.


本来の教育のあり方
日本に於ける、小学校・中学校・高等学校教育の問題には、必ず解答はある。
しかし、社会の問題には、解答のある問題はない。
壮絶な勢いでのパラダイムシフトする、21st型スキルに於いて、
自分で考え・まとめる能力は必須である。

子供の頃に学ぶ、本来あるべき教育は、高度な物は、ほぼ必要はなく、大切なことは、自らの言葉だろう。