2018年8月16日木曜日

「戦争への歩みから何を学ぶか」とはなんだ


昨日 8/15は、終戦記念日だ。

ニュージーランド製の古い真空管ラジオで、放送を聞いていて気がついた。
終戦の特集番組のようだ。
皇族方の学ばれる学習院大学の井上寿一学長がゲスト出演のようだ。

そして、内容は、
「日本が戦争へと至る歩みから得るべき教訓を、改めて考えます。」
「戦争への歩みから何を学ぶか」というテーマだ。
なんてことを言っているんだろう。
最後に
「みなさんは、先の戦争について、どう思いますか?
私たちは、戦争からどんな教訓を学んでいくべきでしょうか?
みなさんからのご意見をお待ちしています。」
この公共放送局の捏造された虚像の情報から、戦地に赴き、敗戦後、この公共放送局は、その謝罪さえもないのだ。

誰しもが、だ、戦争をしたい訳がないだろう。

庶民は、そういう教育を受けて、無理やり理不尽な想いのもとに戦争をさせられたのだ。
「わたしは、平和主義だ、戦争には、行きたくない」と言える自由があっただろうか?
憲兵に、そんなことを言えるはずもないだろう。
異論反論もあろうとも、敵地に赴かざるを得なかった。

昭和20年3月10日には東京大空襲、そして、この後、3月26日から、あまりにも悲惨な沖縄戦と本土の空襲が続けられた。この東京大空襲の時点で勝てるはずもなかった戦争は、尚も続けられた。
そして、広島、長崎に、原爆が投下とされて、8/15日に、終戦となった。
何とも無残で大きな犠牲だ。
国民は、だれも、戦争をしたかったはずもないだろう。
今になって、どういう解釈だろう。

そして、千鳥ヶ淵の戦没者慰霊祭、靖国神社の参拝さえも、反論する人たちがいる。
戦死者の経緯があって、今がある。
この公共放送局は、首相の靖国神社の参拝を批判するかのようだった。
確かに、A級戦犯も祀られている、しかしだ、一般の多くの罪もない人たちが大半だろう。


とにかく、そういう、あまりに理不尽な戦争という時代があって、今がある。
その経緯と犠牲をを忘れてはないないことは確かだろう。
民主主義、そして、平和を大切にしたい。


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