2017年4月7日金曜日

スマートフォンという映像文化環境

現在、日本人のほぼ全員が、スマートフォンという映像装置を懐に忍ばせている。 この状況は、映像文化にとっては、理想環境であり、このことは、映像言語の域を超え、むしろ何でもありの状態であろう。 ということは、自らのセオリーはとても大切だ。 そして、パクリにも、そのセオリーは、はずせない。





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